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チュピン訪問(Ⅱ)
よく買い物に出かけていたペルリス州の州都カンガー
州都と言っても小さな小さな町。小1時間もあればひとめぐりできました。

が、町は再開発とやらで、5倍にも6倍にもふくれあがり、
なじみの店も多くは移転。
傍を高速道路が走り、新しい道が何本も。
まったく今様浦島太郎でした。

夕方、記憶を便りに
わずかに残っていた昔のカンガーの町並みを歩いてみました。

確かここあたりやったけど---。
シャッターが半分降ろされた店先をおそるおそるのぞいてみると、目が合いました。

うわっー、Wongさん!
やっぱりここ、Wongさんの店だったんだあ。

Wongさんはチャイニーズ系のマレー人。
マレーシアに多いゴールドを扱うお店のオーナーです。
洋裁店を営むWongさんの妹さんを介して親しくなりました。

そんなWongさんが、
ランカゥイ島への入り口、クアラペルリスへと招待してくれました。
海に沈む夕日のきれいなところです。

DSC02931.jpg DSC02943.jpg

やっぱりここも、わたしは浦島太郎。
クアラペルリスは一大観光地になっていました。
何と賑わっていること!
  昔は、
  海に張り出した海鮮レストランが一軒あっただけ。
  ひなびた感じの漁港兼ランカゥイ島への船の発着場だったクアラペルリスが、なんとなんと---。
びっくりすることばかりでした。


DSC02960.jpg カンガーを離れる日。
 チュピンから友人たちが駆けつけてくれました。         
 ファティマが知らせてくれたのです。                 
なかには、当時小学生だったけど、
わたしが書いた日本語のメモを今でも大事にしてるんだ、という男性も。


IMG_4052.jpg IMG_4051.jpg
   
   朝食によく食べていたインド風のパン「ロティチャナイ」。
   カレーにつけて食べます。
   タネを鉄板でたたいてのばして、のばしてたたいて。
   見ていてあきないパフォーマンス。
   マレー系食べ物ベスト3のひとつです。



チュピンでは、わたしが日本の代表選手。
わたしを通じて日本を知ってくれたら、関心を持ってくれたら---。
そして、好きになってくれたら、こんなうれしいことはない、
と思って暮していましたが、
ちゃんとそれが生きていたんですね。

     マレーシアにはこんな格言があります。
  
  カラウ アダ ジョド ボレ キタ ジュンパ ラギ
    もし縁があったなら、きっとあえるでしょう。

         またきっと来ますね!



  

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【2016/01/22 18:22】 | マレーシア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
チュピン訪問(Ⅰ)
クアラルンプールで開催される
マレーシア青年海外協力隊派遣50周年記念式典に出席するのを機に、
JOCV時代の任地、フェルダ・ツブ・チュピンを夫と共に訪れてきました。

     DSC03003.jpg


フェルダ・ツブ・チュピンは、
マレーシアの北の端ペルリス州のそのまた北の端にある入植地。
タイとボーダーラインを接していて、
マレーシアではめずらしくサトウキビを栽培して生計を立てているところです。

訪れるのは30年ぶり---。

みんな覚えていてくれるかなあ。あの人は?この人は?
幼稚園(わたしの職種は幼稚園教諭)はどうなっているかなあ。
住んでいた家はまだあるかなあ。

いっぱいの「---かなあ」、を抱えての訪問
任期を終えてから、
カウンターパートや何人かとは手紙のやり取りをしていたのですが、
音信が途絶えてから20年は経つでしょうか。

アポなしの訪問。
3日間とっているけど、どうなることやら。不安でもありました。

フェルダ・ツブ・チュピンは、
プロジェクトが、人出不足とコスト高のサトウキビからゴムへと変わりつつあり、
見渡す限りだったサトウキビ畑の雄大な風景が、すっかり変わっていました。

あの景色大好きだったなあ。もう一度見たかったなあ---。

けどありました、住んでた家が!
IMG_20151220_0011.jpg   DSC02851.jpg
          住んでた当時(右)と現在の家

幼稚園は、移転して立派な幼稚園に。
当時の先生が若い先生をリードして頼もしい限り。
まさか、ここであえるとは思っていなかっただけにうれしかったなんのって。

IMG_20151220_0015.jpg   IMG_20151220_0021.jpg

   当時の幼稚園(上)と現在の幼稚園(下)。
     テラスもあって、子どもたちがおやつを食べていました。
   亡くなった先生もいて、あらためて30年の歳月を思った次第。
 
DSC02873.jpg   DSC02874.jpg

そうこうしている間に、村のおばちゃんたちがわたしを見つけてくれて、
今は退職して近くの町に住んでいるカウンターパートに連絡。
カウンターパート(ファティマ)がわたしたちを迎えにきてくれました。

会った瞬間に30年が一挙に飛んでしまった感じ。

  まだまだ、チュピンをウロウロしていたい。
  ちょっぴり心をチュピンに残し、ファティマの家へ。

やっぱりJOCVの2年間はわたしの宝物。
チョピンは第二の故郷です!
  ーそんな思いが、拙著「ジュンパ・ラギ」になりました。ー

  続きはまたあした。




【2016/01/21 16:54】 | マレーシア | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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