少数民族を訪ねて ラタナキリ(1)
先週、カンボジアの最北東部、ラタナキリへ行ってきました。

 多くの少数民族が集中していて、
 ラオス、ベトナムと国境を接している街。
 前々から行ってみたいな、と思っていたところです。

プノンペンからはバスで約11時間。一日1便のみ。
出発は朝7時30分。
州都バン・ルンには夕方の5時過ぎに着きました。
途中からは、舗装していないので、
極端に道路が悪くなるよ、と聞いていましたが、
そんなこともなく、予定より早くの到着でした。 

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山々に囲まれた高原地帯ラタナキリ
期待ははずれませんでした。

まず、人も車もバイクも少ない!
緑が多い(高原地帯だもん、当たり前か)!
町に漂うゆったり感。
それに、ごみが少ない。

  わたしたちは滞在した3日間、
  ラタナキリの人口の75%を占めるという
  少数民族の村々を訪ねました。

  ちなみに、ここの観光のメインは、
  ジャングルトレッキングをはじめとするアドベンチャー体験。
  森深い国内最大の国立公園、山中には見応えのある滝もある(らしい)。

朝、6時30分。
中央市場周辺には、山の幸を広げた路上市場が早々と出現していました。
タケノコや、ヘチマ(?)、バナナの幹、ヤマブドウなど。
どれもこれもがみな新鮮!
赤ちゃんや子どもも連れてきていたり、生活のニオイがプンプンの市場です。

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           ーやまぶどうー 買いそびれてしまいました。


       今日は、カチョン村へ。トンプーン族が住む村です。
       バン・ルンからは舗装なしのガタボコ道を車で1時間。
       ベンサイ村に到着。
       ここからはサン川をボートで行きます。

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          1時間30分。やっと着きました。
        川辺では、子どもたちが水浴び中でした。 

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DSC01123.jpg 村にあった
  ベトナムの援助で建てられたという学校、
 先生がいないので
  今は閉鎖しているとのこと。
 中を覗いてみると、
 机も椅子もちゃんとそろっているのに、
 なんともったいない。
 こどもたちはどこで勉強を?


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目を引いたのが墓地。
小さな家のようなお墓が
       ぽつりぽつり点在していて、
その前には男女2体のペイントされた木像。
ガイドのSonaさんによると、
生まれ変わってもまた一緒に、
         という意味があるそう。

   
ベンサイ村に帰ってお昼を住ませてから、
対岸の中国人村とラオ族の村へ。

中国人村にはちゃんとした学校があって、生徒たちが授業中でした。
隣り合わせのラオ族の村では見かけませんでしたが、
こんなところにも教育の差。
こどもたちの屈託の無さには変わりはないんですがね。
      
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              続きはまたあした。

         
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【2015/09/30 15:20】 | ラタナキリ | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
プノンペンの奇跡!
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プノンペンの水道は、
 直に飲めるんです。
安心して飲めるなんて、
 ものすごい!こと。

きれいな水です。
しかも、水道料金は安い。
断水もありません。



             9月はじめ、プノンペンの浄水場を見学してきました。

そして、もうひとつのすごいこと。
なんと漏水率が6%以下(2011年)なんだそうです。


DSC00991.jpg プノンペンの奇跡
 といわれているこの水道事業。
 影に北九州市あり!
 1999年から、北九州市が協力しています。

 この日は、
 北九州市の職員の方に
   案内していただきました。


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まだまだすごい奇跡がー

プノンペンの水道は、
プノンペン水道公社の事業で独立採算制。
当初の料金の未収は70%にも及んでいたといいますから、
いまの黒字化、安定した水道サービスへの経営改善過程、すばらしいのひと言です。

政府の高官にもあった水道料金の未払い。
公社前長官のエク・ソンチャン氏は直談判に出向いていったそうです。
時には、頭に銃を突き付けられたこともあったという話です。
                   ー言うのは簡単ですがー

公社職員の給料をよくしていったのもこの長官。
働く意欲のもとはお金。汚職に走るのは、給料が少ないから。
職員の意識向上につなげていった職員の給料アップ。
  周りの人々に聞くと、確かにみんな給料はおどろくほど低い。
   当時は何十ドルの世界だったのでしょう。


汚職がまかり通っているカンボジア。
既得権がひしめき合っている中での改革力とその断行。

数々の表彰に輝く水道公社です。
前長官はアジアのノーベル賞「マグサイサイ」を受賞しています。

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    水道公社のロゴマークにもなっている「プラ・メー・トラニー」
              (母なる大地の女神)



【2015/09/17 15:43】 | 暮らし | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
なっちゃん 旅立ってしまいました。
なっちゃんが旅立ってしまいました。
8月31日午後2時30分、14歳と2ヶ月でした。

ちょっとしたことでひょろっとなったり、
あんなに好きだった外にで出るのを嫌がったり、
少しずつ弱っていくなっちゃんを見て、
いつかはこんな日が---、と覚悟はしていましたが、
ほんとつらいです。

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なっちゃんには、助けられたり癒されることがいっぱいでした。
なっちゃんのいろんな仕草が思い出されます。

 平成13年8月。わが家の一員になった「なっちゃん」。
 夏にやってきた、ということでの命名でした。

 バンビのように可愛かったなっちゃん。
 いつもなっちゃんと一緒でした。
 
 小ちゃな頃、
 野良犬に小川で遊んでもらって(?)からは、水遊びが大好きに。
 泥田に入って全身ドロドロの泥だらけ。平気な顔で出てきたなっちゃん。
 そのあとのシャンプーが大変でした。
 
 なぜか子どもが苦手だったなっちゃん。
 前方に子どもを感知すると、くるりと後向き。
 後戻りしていたなっちゃんです。

 甘えん坊だったなっちゃん。
 シャンプーをしてもらっているわたしの膝へポンと飛びのり、
 美容師さんを驚かせたこともあったなあ。

 散歩の途中の立ち話、
 わたしの横にちょこんと座って、終わるのを待っていてくれたっけ。

 車が大好きだったなっちゃん。
 わたしの膝が定位置でした。

 好き嫌いは多かったなあ。
 
 お客さんには、私よりも早く玄関へ。
 そこにあるものをくわえてはお迎えしていました。

 縁側に座って外を見るのが大好きだったなっちゃん。
 じぃーっと見ていました。

 帰ってくると、走ってきて迎えてくれたなっちゃん。
 
 ある時、帰宅すると、駆け寄ってくるなっちゃんの姿が見えません。
 どこへ行ってしまったのか。内も外もどれだけ捜したか。
 捜し疲れて、ふと、
 ふだんは使わない部屋のなかをのぞいてみると、
 そこにはすましたなっちゃんの姿が。
 拗ねていたのかもしれません。

 近所の人にも可愛がられていたなっちゃん。
 「なっちゃん元気?」があいさつがわりでした。

 なっちゃん、今頃は虹の向うかな。

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 DSC00628.jpg なっちゃんと一緒に日本に帰る。
  願いは叶わなかったけど、
  なっちゃんには、
  いっぱいの”ありがとう”を贈りたいです。 
 
 

  
【2015/09/03 17:22】 | ワンちゃんのこと | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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