クアラルンプールで開催される
マレーシア青年海外協力隊派遣50周年記念式典に出席するのを機に、
JOCV時代の任地、フェルダ・ツブ・チュピンを夫と共に訪れてきました。
フェルダ・ツブ・チュピンは、
マレーシアの北の端ペルリス州のそのまた北の端にある入植地。
タイとボーダーラインを接していて、
マレーシアではめずらしくサトウキビを栽培して生計を立てているところです。
訪れるのは30年ぶり---。
みんな覚えていてくれるかなあ。あの人は?この人は?
幼稚園(
わたしの職種は幼稚園教諭)はどうなっているかなあ。
住んでいた家はまだあるかなあ。
いっぱいの「---かなあ」、を抱えての訪問。
任期を終えてから、
カウンターパートや何人かとは手紙のやり取りをしていたのですが、
音信が途絶えてから20年は経つでしょうか。
アポなしの訪問。
3日間とっているけど、どうなることやら。不安でもありました。
フェルダ・ツブ・チュピンは、
プロジェクトが、人出不足とコスト高のサトウキビからゴムへと変わりつつあり、
見渡す限りだったサトウキビ畑の雄大な風景が、すっかり変わっていました。
あの景色大好きだったなあ。もう一度見たかったなあ---。
けどありました、
住んでた家が!

住んでた当時(右)と現在の家
幼稚園は、移転して立派な幼稚園に。
当時の先生が若い先生をリードして頼もしい限り。
まさか、ここであえるとは思っていなかっただけにうれしかったなんのって。

当時の幼稚園(上)と現在の幼稚園(下)。
テラスもあって、子どもたちがおやつを食べていました。
亡くなった先生もいて、あらためて30年の歳月を思った次第。

そうこうしている間に、村のおばちゃんたちがわたしを見つけてくれて、
今は退職して近くの町に住んでいるカウンターパートに連絡。
カウンターパート(ファティマ)がわたしたちを迎えにきてくれました。
会った瞬間に30年が一挙に飛んでしまった感じ。
まだまだ、チュピンをウロウロしていたい。
ちょっぴり心をチュピンに残し、ファティマの家へ。
やっぱりJOCVの2年間はわたしの宝物。
チョピンは第二の故郷です!
ーそんな思いが、拙著「ジュンパ・ラギ」になりました。ー
続きはまたあした。